集中治療に携わる医師の倫理綱領

日集中医誌.2005;12:243~244.
資料
集中治療に携わる医師の倫理綱領作成にあたって ―2005年3月―

日本集中治療医学会倫理委員会
土肥 修司(岐阜大学大学院医学研究科麻酔・疼痛制御学):委員長
加藤 正人(東北大学医学部附属病院集中治療部)
斉藤 宗靖(自治医科大学大宮医療センター循環器科)
篠崎 正博(和歌山県立医科大学附属病院救急集中治療部)
丸川 征四郎(兵庫医科大学救急災害医学)
三川 勝也(神戸大学医学部周術期管理学)
三高 千恵子(東京医科歯科大学大学院医歯学総合研究科救命救急医学)

1.前文(倫理綱領制定の意義)

我が国に集中治療医学が誕生してから30年が経過した。この間、集中治療は、さまざまな医療分野の専門家と周辺の医療従事者の協調・協力によってめざましい発展を遂げ、高度な医療を横断的・統合的に推進する中心的な存在となってきた。

集中治療医学の発展は、死に瀕した重症患者の治療を通して医療のあらゆる分野の大きな発展に貢献してきたとともに、医療社会に対して解決すべきさまざまな新しい課題を提起してきた。集中治療の実践は、人間の生命の本質に迫るものであり、生命維持への限りない挑戦でもあった。それゆえ、脳死という新しい死の概念を提唱したのみならず、必然的に国民の「生命倫理」の概念を変え、医療への信頼・期待感を大きく高めてきたといえる。その結果、重症患者に対する医療においては、それを受ける側と提供する側、双方の心の存在がますます重要性を増してきたと指摘できよう。したがって、集中治療に携わる医師は、意思の疎通が難しい患者を中心として、さまざまな生命維持装置を駆使しながら、生命の尊厳を基本におき、高度な倫理観と熟練した技術で医療を行う必要がある。

集中治療における医療は、脳・心臓・肺・肝臓・腎臓・膵臓などの重篤な障害の治療のみならず、手術や重症外傷などの過大なストレスを受けた患者の急性の異常と過剰な生体反応との制御と修復にある。患者とその家族は、集中治療における高度な医療と緻密な管理に大きな期待を寄せている。したがって、集中治療に携わる医師は、各診療科医師・看護師からの患者に関する詳細な情報をもとに、他の専門家と協調・協力して最良の医療を提供できるような体制を構築する必要がある。この体制下にあっても、集中治療に携わる医師は、チーム医療のリーダーとして患者の尊厳を守ることと科学的根拠に基づく最良の医療を行うこととに誠心誠意努力しているといえども、医学的、科学的な問題はもとより、さまざまな難しい倫理的な問題に直面しよう。

集中治療に携わる医師は、優れた人間としてその良心に従い、できる限りの努力を怠らず、患者に常によりよい医療を提供する職責を負う。ここに掲げた倫理綱領は、その職責を果たすために、集中治療に携わる医師がとるべき倫理規範の基本となるものである。

2.集中治療における倫理の基本事項

重症患者の医療を遂行する上には、さまざまな倫理上の問題がある。患者の治療に対する責任、他の専門分野の医師や医療従事者に対する責任、医療をとりまく社会への責任、そして医師としての自身への責任などである。

倫理委員会は、集中治療に携わる医師の倫理綱領を作成するにあたり、集中治療医としての診療姿勢を具体化するとともに、専門性を組み入れるよう考慮した。鎮静薬投与下の人工呼吸中や意識のない患者の尊厳への配慮、集中治療医がリーダーシップをとるべき診療体制の構築への努力、学会が定める指針などの遵守、集中治療医としての特殊性から生じる職権の乱用の防止などである。以上に加え、集中治療の周辺にある問題―脳死の判定、生命維持装置に囲まれているため説明・同意を得ることの困難性、治療に対する家族の意向・要請への配慮、患者が重篤であるゆえの高額な医療費、治療の継続・中止の問題、高度の技術を要する医療器機の使用、必ずしも十分でない科学的根拠など―についてさまざまな面から議論を重ねた。さらに、これまで医療倫理全般において軽視されがちであった事柄を倫理綱領に加える必要性も議論した。患者の権利と利益を中心とした医療、文化的・宗教的・政治的背景の差異を理解した上での国際貢献、学術研究の必要性はもとより、それらに従事するにあたっての集中治療医としての倫理的姿勢などである。

結果として、この集中治療に携わる医師の倫理綱領では、1)患者の生命と尊厳の重視、2)医師の診療姿勢、3)患者・家族の同意、4)患者中心のチーム医療の実践、5)自己研鑽と社会教育活動、6)学術・研究活動、7)社会・国際貢献、8)自己管理と業務責任、9)不測の事態の対応、10)情報の公開、の10項目を基本とした。会員はこれらに準拠した実務的な倫理規範を整え、集中治療医学の専門家として社会のニーズに応え貢献していく必要がある。

3.日本医師会の「医の倫理綱領」の尊重

日本集中治療医学会は、会員はもとより集中治療に携わるすべての医師が、医師としての基本的な姿勢を示している日本医師会の「医の倫理綱領」を尊重し、集中治療をとりまく医療の特殊性を重視したこの集中治療に携わる医師の倫理綱領を遵守することを求める。

集中治療に携わる医師の倫理綱領

(2005年2月23日、評議員会承認)

1)患者の生命と尊厳の重視

集中治療に携わる医師は、治療する重篤な患者の生命とその尊厳を守り、患者の利益を最優先する。

2)医師の診療姿勢

集中治療に携わる医師は、さまざまな生命維持装置や監視装置に囲まれ意思の疎通が難しい医療環境においても、患者1人1人のQOLを重視し、患者にとって快適で、科学的根拠に基づいた最良の治療を提供する。

3)患者・家族の同意

集中治療に携わる医師は、自己の意思が治療には反映されにくい患者の状況を考慮し、その治療の継続・変更・中止に関しては、患者あるいはその家族の十分な理解と同意のもとに行う。

4)患者中心のチーム医療の実践

集中治療に携わる医師は、医療チームの一員としての役割を自覚し、重症患者の治療にかかわる他の専門医師、医療従事者ならびに福祉の専門家などの意見を尊重し、協調・協力して患者中心のチーム医療を実践する。

5)自己研鑽と社会教育活動

集中治療に携わる医師は、集中治療専門医の資格を取得した後も、専門および関連領域の最新の知識と技術との習得に努め、医療全般で必要とされている集中治療の指導と教育ならびに社会に対する集中治療の啓発と普及に努める。

6)学術・研究活動

集中治療に携わる医師は、学術研究にあたっては、対象者が意思表示の難しい重症患者であることと生命科学の進歩がもたらす問題とに十分配慮するとともに、科学的原則に則り、ヘルシンキ宣言の基本原則を遵守し、人類愛の精神に依拠してこれを推進する。

7)社会・国際貢献

集中治療に携わる医師は、世界の医療の現状にも幅広い関心を持ち、国際社会の同僚と協調・協力し、医療福祉が十分に提供されていない人々や国々に対して集中治療や集中治療医学の発展を援助し、それらの向上に貢献する。

8)自己管理と業務責任

集中治療に携わる医師は、患者の生命維持に直接かかわる職務であることを自覚し、精神的にも身体的にも最良な状態で診療にあたるとともに、診療環境の整備、薬や医療機器の厳格な保管と適正な使用に努める。

9)不測の事態の対応

集中治療に携わる医師は、治療中に患者の不利益となる事態が発生した場合やその可能性が見込まれるときは、回復に最善を尽くし、患者と家族とに十分な説明をするとともに、会員相互と情報を共有し原因の解明と再発防止に努める。

10)情報の公開

集中治療に携わる医師は、治療中の患者およびその家族の求めに応じ、治療の現場や環境、並びに生命維持装置などの医療機器について説明するとともに、集中治療での診療録を開示する。